Author:おとうさん@カラスバナー営業主任 7月30日の川淵会長の再任にあたっての会見の一部に以下のようなくだりがあった。 「私は自分の責務を果たすことなく職を離れることこそ無責任と考える。多くのファンの批判があることは承知しているが、サッカー界への貢献を考え、自信と確信を持って臨んでいきたい。」 私はこれを目にしたとき、以前、ビジネス上の講演会で聞いた、とある講師のこんな話を思い出した。 日本の経営者にとって「責任」というほど便利な言葉はない。 「責任をとって辞任する」 「職務を引き続き全うすることで責任を果たしたい」 と180度違う、用法が可能な言葉である。 それは、この「責任」という言葉がどのような意味内容が何をさすか、きわめて曖昧な日本語だからだ。 英米語にはこんな言葉はない。 責任に対応する単語はいくつもあるが、いくつもあるのは、いずれも使い方が限定されていることが理由だ。 一番日本人になじみのある単語は「responsibility」 だろう。 response(応答)にability(能力)が結合した言葉で「質問に応答する責任」 次に、日本語で「説明責任」と訳されることの多い「accountability」 account(勘定書)にこれもabilityで「財務会計上の説明責任」 さらには経営という概念においては不可欠な責任である「liability」 lie(賦課されている)+abilityで「債務責任」、民法上の債務の支払いに対する責任である。 これらは、いずれも能力という言葉が後ろについており、言い換えればこれらを果たせない経営者は能力が無い、と見なされる。 というようなものであった。 さて、翻ってわが川淵氏、一体どの責任を全うする決意をお持ちなのだろう。 独断でジーコを監督に指名し、4年間迷走の末、ドイツワールドカップでの惨敗、これに対するresponsibility(応答責任)は果たしてきただろうか。 また、一部週刊誌をにぎわしている協会業務における公私(講師?w)混同疑惑に対してのaccountability(財務状況の説明責任)はどうだろうか。 いずれも不十分どころか、まともに果たされていないというのが現状ではないか。 そして、いままで果たせなかった責任がどうして今後、果たせると言うのだろうか。 川淵氏が唯一果たしてきた責任があるとすれば、スポンサーや電通へのそして年間2億円といわれるジーコの報酬に対するliability(債務責任)だけではないだろうか、それも代表選手の消耗という多大な犠牲を払って。 日本語の曖昧さの中に川淵氏を逃がしてはならない、と強く思った。
by byebyecaptain
| 2006-08-04 01:00
| ☆辞任要求エントリー
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