Author:曹汰 ■荒野に風は吹いているか。7月21日のオシムさんの日本代表監督就任によって風向きは変わった、ように見える。 WCの惨敗後にはただ焼け野原だけが眼前に広がり、焼け跡にはペンペン草さえも生えてはいない。 More #
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| 2006-12-31 23:55
| ☆巻頭言Good Bye!川淵さん。
Author:エルゲラ 「僕は代表のことには口を出さないほうがいい…」などと優等生っぽいことを言っていたのも、ジーコ事件の火傷の傷が治るまでぐらいの3ヶ月だけだったということでしょうか。 「巻は下手」川淵氏ついに代表批判 スポニチ (以下一部引用) もう黙っていられなかった。オシムジャパン発足以降、「口を出さない」とのスタンスを取ってきた川淵キャプテンだったが、6試合目でたまった不満をぶちまけた。「イライラした。途中で(テレビを)見るのをやめたくなった」と切り出すと、ミスを連発する戦いぶりを「全く幼い」と切り捨てた。 まあ、不甲斐ない選手たちに発奮を促す意味合いを多少汲んだとしても、それでは6月にドイツで無残な姿をさらけ出したチームについても、同じように話していたのか。大手スポンサーがついている選手にも、同じように厳しいことを言ったのか。 元記事のリンク先が残っていないので、Googleのキャッシュの記事を。 川淵三郎(サッカー) W杯で120%の力発揮を 元記事は協会のスポンサーである朝日新聞 サッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会の開幕まで、あと3カ月。日本のサッカー界をリードする「キャプテン」の登場です。 今回は巻選手のことをとやかく言っている川淵氏ですが、数ヶ月前のこの記事を読むとサッカー的にはどうなのだろうと思います。商売(金儲け)が上手いことは認めますが、ね。 川淵氏にはこのジェレミーさんの言葉を良くかみ締めて欲しいものです。 ファンタジスタには早すぎる FC JAPAN ジェレミーさん もっとも大切なのはドイツで崩壊状態となった代表チームを新たに作り上げること。ジーコは素晴らしい選手を何人か引き継いだが、後任者には何も残しはしなかったという点は、誰にも忘れずにいてもらいたい。 結局のところ、自分が選んだ監督のツケを日本代表が払っている最中なのだから、もう少し黙っているか、辞めてください。 (川淵大活躍のエントリーを一部加筆して転載) #
by byebyecaptain
| 2006-10-14 01:22
| ☆辞任要求エントリー
Author:おとうさん 標題は私の持論である。 いくら大義名分のある目的があっても、それを実現する方法に瑕疵があれば、大義は失われる。 至極当然の理である。 川淵氏にかけられている公私混同疑惑とは次の3点であることは以前のエントリーに書いた。 1. 日本サッカー協会会長としての講演であるにもかかわらず講演料を川渕企画というペーパーカンパニーの収入としている。 2. その川渕企画の業務の一切を協会職員で川淵氏の秘書であるA女史が業務時間内に行っている。 3. 協会負担のハイヤーを使って講演会にでかけている。 これに対して現在まで川淵氏が行っている説明は以下のようなものである。要約すると「協会のルール、慣行である」「寄付や飲食に使った、正当な使途である」「目的は正当だ」ということに尽きる。 【8月15日付け 朝日新聞朝刊より】 記者:自分の講演料を受け取ることが、公私混同ではないかと週刊誌で報じられました。 【8月10日付け 週刊文春より】 記者:収入を個人会社を通じて受け取っていたことは事実か。 *引用中のリンクは気にしないでください、キーワードから連想した記事、いわばネタです(笑) いずれも上記の疑問に正面から答えたものでは無いことは自明であろう。 私達は使途目的を糾したいだけではない。手段の公私混同についての事実を問うているのである。 さらに、「正しい」と川淵氏が主張する使途目的についても口頭説明だけで、裏付け資料の提示すら無い。 したがって何とも当否について判断しようないのだが、寄付の内訳として優勝カップ代が一番に挙げられているので、ネットで値段を調べ検証をこころみた。 カップって、高くても1万円程度ということを確認。 1回の講演に1個のカップを寄付した、と見積もると 1万円/回×27回(注1)/年×10年=270万円。あとの三千万円余は福祉団体に寄付したということであろうか? しかし、これだけの金額があれば、「なでしこ」たちに焼き肉食べさせたり(笑)、知的障害の人たちやブラインドサッカーの人たちなどハンディキャップをもつ人たちのサッカーの遠征費用も賄えてお釣りがくるはずなのに、なぜまずそれをしなかったの?という素朴な疑問がどうしてもぬぐえない。 川淵氏にはより一層明快な説明を求めていきたい。 (注1) 02〜06の講演会回数は年平均27回・・週間文春への協会回答資料 #
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| 2006-08-28 21:05
Author:kayoo 「ご自由に、としか言いようがない」 なるほど。なめてんなぁ。 ホント、神経逆なですんのうまいなぁ。 「No Butchi!、としか言いようがない。」 ブチヲは強がってるけど、あのデモに参加したのは一部の跳ねっ返りだけじゃないんだよ。 「そういう意見を持っている人もいるが、それもファンの一人」だなんて、いかにも少数意見も認めます的な言い回しだけど、 まっとうなバランス感覚をもった普通の生活者であるサポーターが、雨の中あれだけ集まったんだよ。 先鋭的なコアなサポーターだけが騒いでるなんて、おもしろがってやってんだなんて、タカ括ってたら大間違いだよ。 150人とも、700人とも報道された参加者の中には、デモなんか無縁であろう、普通の人たちがたくさんいた。 その賢さやバランス感覚の真っ当さで私がとても信用している友人も、チケがないのに青年館に駆けつけていた。 ある意味、こういうデモと最もほど遠い人だと思っていたので、驚いて、嬉しくなった。 普段ゴール裏ではなく、バクスタやメインで観戦しているような人たち。 汗で濡れたワイシャツのネクタイを緩めながら歩く会社帰りの男性とか、 私と同年配くらいのお母さんとか、サッカーを楽しむスタンスの人たちと、 ゴール裏で戦うエキセントリックなコアサポが一緒に雨の中歩いたんだよ。 これってすごいことだと思うんだ。 ゴール裏の熱さをすごいと思いつつ、時にその過激な主張についてけないと思うことがある。 ゴール裏とは一線を画す一般のサポと熱いコアなサポが一緒に声を上げたってことはすごいことなんだよ。 ブチヲ、甘く見てはいけないよ。 500人のデモだと思ってるかもしれないけれど、参加したいのに最後のもう一押しがなくて列に加われなかった人がまだまだいっぱいいるんだよ。 どうしよう、どうしようと躊躇して、踏み出す勇気がなかった人はもっともっといるんだよ。 デモを主催してくださった方々、 さまざまな意見のすり合わせや準備などなど、本当にお疲れさまでした。 みなさんのご尽力のおかげで、私も参加させていただくことができました。 たくさんのTVカメラが取材に来ていたけれど、オンエアされたのはめざましテレビで一回だけ。 各局足並みそろえて、ニュースバリューがないと判断したんだろうか。 でも、 テレビのニュースでやんなくても、ネットがあるから「なかったこと」にはなんない。 「川淵やめろ!」の大合唱は確かにあったこと。 さぁ、次、いってみよーーーー!!! No Butch!なかっちょいいTシャツか、小さなことからコツコツと「ささやかな不買運動」か…… 私にできることからやってみよーーーー!!! 不謹慎だけど、楽しかったりもしました。 でも、まじめにやんなきゃと、弛む顔を引き締めたのです。 8月9日夜、熱く汗臭い数十分を共有したみなさん、お疲れさまでした。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-22 18:58
| ☆辞任要求エントリー
Author:エルゲラ 『文藝春秋 9月特別号』にて、川淵会長がオシム監督と対談をしています。これはどうやらサッカー協会側からの売り込み記事らしいのですが、まあそれは置いておきます。それを置いておくにしても、どうもオシム監督を担ぎ出しての批判かわしに思えてしまいます。(以下文藝春秋より一部引用) 『日本だけとは限りませんが、サポーターやマスコミは短兵急に試合結果一つで結論を出したがります。負けると非常に批判的になる。ジーコ監督の時がそうでした。そこはまだ日本サッカーが成熟していない点もあるでしょう。代表チームについては、3年から4年の長いスパンで見てもらいたいですね。』 これはあくまで一般論ですね。代表チームや代表監督を長いスパンで評価をするという一般論には同意します。4年は長すぎるにしても、最低でも2年は時間を与えないと、現代の過密サッカーカレンダーにおいて、代表チームに監督が自分のエッセンスを注入することは難しいでしょう。 選手のコンディションやモチベーション、その試合の意義やスケジュールによってすべての試合で良い内容の試合を求めるのは難しい。結果を出すべき試合、結果より内容でトライをする試合。そんな強化のための余裕を考えると、2年という時間を与えそこで再評価をし、さらに2年の継続を検討する。これぐらいのスパンで考えることに異存はありません。 しかし、 『W杯が終わってから、私は会長としてきびしい批判を受けています。結果を残せなかったんですから、ジーコ監督を採用した責任を問われるのは当然です。失言問題もそうですが、自分としては重く受け止めています。しかし、代表チームの成績如何で会長が代わるというのは、世界のサッカー界の常識にはありません。だから辞めろというのは短絡的な考え方です。それなら、ブラジルをはじめ世界中のサッカー協会会長は何人いても足りません。むしろ負けた要因をしっかりと分析して、次にどう生かすかを考えるのかが会長の仕事ですし、会長は代表以外の仕事のほうがずっと多いのです。』 ここがワールドカップ終了後の朝日といい、文春といい、ロイターといい、川淵氏の一連の自身の責任追及に関するコメントとして問題のすり替えを行っているようにしか思えない部分です。 一般論として代表監督の成績に会長の進退は左右されない。これには同意。しかし、今回のジーコ監督選びは協会組織の通常の手順から選ばれたとは思えない。川淵氏自身の意向が大きく働いた監督なのだから、その監督が失敗した時の責任は取りましょう、ということですね。この部分を意図的かどうかは分かりませんが、ぼかしている。 自分自身がどれだけジーコ監督を選ぶことに関わって、それに対し総括なり反省なりの言葉がないと、責任を回避しているようにしか思えない。 『ファンの皆さんが落胆される気持ちは私にもよく分かります。仮に予選リーグで三連敗したとしても、日本代表らしい戦い方ができていれば納得がいくけど、特にオーストラリア戦は、ジーコ監督の四年間ではなかったような負け方でした。あれは僕もショックを受けましたよ。』 代表チームの問題点をオーストラリア戦の失点場面だけに凝縮しようとしているわけではないですよね? 確かにあの点の取られ方はショックでした。でも、そこにいたる4年間とか、ドイツワールドカップ前のドイツ合宿から始まる1ヶ月間とか、そのような時間のそこかしこにチームの崩壊につながる芽は見受けられて、それがあの3試合で表面に吹き出しただけではないでしょうか。 仮にオーストラリア戦を幸運な1点で逃げ切ったとしても、果たしてそれで日本サッカーの将来はハッピーだったのか。その勝利は川淵氏の言う”選手の自由と自主性による勝利”だったのか。川淵氏に対する批判は結果責任に対してだけのものなのか。 もう少し、謙虚な気持ちで”ファン”の言葉に耳を傾けてください。世論誘導はもう結構ですから。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-20 18:33
| ☆辞任要求エントリー
Author:おとうさん@カラスバナー営業主任 川淵会長にレッドカードを!のデモの取り組みへの批判の中に「対案がない」というものがある。中には川淵氏の悪辣さを用心しすぎてか(笑)「そうでないとクレーマーあつかいされる」という主張までネット界に飛び交っている。一見、現実的な提案かのような外形をもつ批判であるが、ケット・シー氏が力説するように 「大仁さんがいいとか、奥寺さんがいいとか、いや岡野さんの復帰が望ましいとか、いろいろな候補をあげる人がいるでしょうが、それによってもっとも大事な目的=「墜落を回避すること」が出来なくなっては困る。こういう状況では、「小異を捨てて大同につく」のが正しいのです。「対案は?」という質問は、「小異を拡大することによって大同を分裂させる」という危険があるために、「狙って」してくる勢力がいるわけです。それに答えるには「今は墜落回避が優先」で終了です。」 (8月2日付けKETSEE BLOG「デモ批判に関して」より引用) 小異に拘泥すると大局を見失う、というのがもっとも根本的な問題であることは言うまでもない。 さらに、この手の対案路線が実現不可能なのは、擁立しようとする候補者の具体的意思がまったく不明、という点にある。 つまりマスコミが「サポーターはあなたに会長になってもらいたい、と主張していますが、どんなもんでしょう?」とインタビューしたとして「とんでもない、私にはその意思はないですよ」と答えた瞬間に、この対案は一切のリアリティを失ってしまう。 代表監督を例にするとよりわかりやすいかもしれない。ジーコよりもヴェンゲルを、というのは大方のサッカーファンの同意を得られる対案だったが、肝心のヴェンゲルに「その気」がないのだから実現しょうがなかった(笑)現・代表監督のオシムとて、「オシム語録」の中で、ピクシーの「彼に日本代表の指揮官をというアイデアが出てくるのも当然だ」という発言に対して「愉快な話ではない、私が野心を持って彼にそう言わせたと思われてしまう」と答えているのだ。それほど「具体名」とは「出される側」にとってはデリケートな問題なのである。 ということは、取って代わられようとする側の人間がどういう行動にでれば、この対案を潰すことができるか、ということも容易に想像がつくだろう。 「おまえには(目上の場合:あなたには)そういう野心があるのか」と一喝すればよい。 このように「○○さんを会長に」という主張は一見運動にリアリティを持たせられるかの主張のようであるが、実はそれを潰す側に答えを与えていると言う点で書生論にすぎない。 次に制度改革対置要求について考えてみる。 いま、私達が問題視しているものの多くは、川淵氏によってJFA等の規約・規定や社会的モラルがきちんと遵守されていないことにより生じている。技術員会のリストを突き返し「ジーコに聞いたのか」とリストに無いジーコを独断で監督に据えた問題しかり、公私混同疑惑しかり、オシムをジェフから奪う形となった「言っちゃったね」リーク〜Jリーグ規約軽視問題しかりである。 要するに一連の問題の原因は川淵氏が作り出した「法治より人治」と言う状態にある。この解決策はただひとつ、法治の障害となっている人物をその任から解く以外にあり得ない。つまり制度改革対置要求を掲げても、現実に生じている問題とは殆ど噛み合わない、ここでもリアリティを喪失するのである。 また、仮に「JFA会員による会長の直接選挙」などという対置要求を掲げたとして、JFAが「検討します」と答え数年後に「やはり現実的ではありません」と回答されることだって十分ありうるのである。むしろ問題の本質をはぐらかす材料を相手に与えることにもなりうる。 以上のように「対案を」、という主張は二重三重に今回の問題の解決にはそぐわない、かえって相手に足元をすくわれる危険性をもった危うい主張に他ならないのである。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-09 09:22
| ☆意思表示
Author:ブランク 川淵会長の最大の功績は国内リーグのプロ化と莫大なスポンサーの収益をJFAにもたらしたことである。負の遺産はジーコ監督を推し進め、日本代表をWCで惨敗させたことである。その経緯を見るにはジーコ監督の経緯を追わなくてはなるまい。そのことは、「史上最強の中盤」と言われながらもイタリアの前に沈んだ82年スペインW杯で、ジーコ自身も身をもって感じているはずだ。「美しいサッカーが勝てるとは限らない」という言い訳を、神様の口から二度とと聞きたくないと思うのは私だけだろうか? ジーコを包む「受け身のオーラ」 キリンチャレンジカップ2002 日本-ジャマイカ戦 (文=梶原弘樹 スポナビより一部引用) 2002年ジャマイカ戦のコラムである。その後2006年ジーコはどういう会見を行ったか。 日本代表ジーコ監督 退任会見全文 2006年06月26日 今大会、決勝トーナメントに進出した名前のある監督でも、体格差で劣るチームを率いていたときにはいい成績を残すことができなかった例もある。それでも欧州のチームを率いると勝ち始める。監督のさい配以上に、選手の資質が問われる。日本と韓国は非常にいいライバル関係を築き上げてきたが、それ以上に世界に目を向けてフィジカル的に優れたチームとやることで、自分たちの良さは何なのかと突き詰めながらやっていかなければ、将来的には難しいと思う。 最終的にジーコは日本人の体格差に言及して去った。選手の資質にまでこだわり、自分の反省すらなかった。これが82年スベイン大会以来の言い訳である。2002ジャマイカ戦から今回まで予兆は出ていたのである。これに対して川淵キャプテンはどういった会見を行ったか。 W杯帰国会見要旨 2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会 2006年06月24日 ――新しい日本代表監督が、北京五輪の代表監督を兼任することなどを含め、フル代表と五輪代表の監督の連係などについては交渉でどう考えていますか 試合内容の反省どころか、「あっ、オシムと言ってしまったね・・」と言って矛先をそらしたのである。日本人選手のせいにした監督をそれを選任し、4年間放置し、最後の分析や説明する会見で違うチームの監督の名前を出す破廉恥さ。これは暴挙にも近い。4年間で選手人生をおりた選手もいる。その貴重な4年間を川淵キャプテンは分析も反省もせず「逃げる」ことで釈明したのである。この管理者にたいしてどうして信頼がおけようか。 4年間の間に変更のチャンスはあった。ジーコに対するデモや投書を川淵キャプテンは見ているのである。 2.27 ジーコ監督×川淵三郎会長会談 会談後 川淵会長コメント 2004年2月27日 ――この会談は有意義なものとなったのでしょうか 彼はそれも踏みつぶした。ジーコは熱の出ている選手を使い、海外組と国内組とのモチベーションコントロールに失敗したまま、本番を迎えたのである。その結果どうなったか。グループFで勝利0、引き分け1、負け2、得点2、失点7、という最下位の惨敗を喫したのである。これは必然であった。そして責任者は全て自分の責任を放棄し、マスメディアは一誌を除いて、その追及を避けたのであった。これが日本という国のフットボールシーンにおける現状である。誰もが言わないのであれば、我々がいうしかない。 マキアヴェリは古い書物からささやく。 『君主にとって、厳重のうえにも厳重に警戒しなければならなければならないことは、軽蔑されたり見くびられたりすることである』君主論 この4年間、マスメディアに対しての厳戒な言動はこれに基づいているが、今なぜ恐れている軽蔑が起こっているか。マキアヴェリは言う。 『人の為す事業は、動機ではなく結果から評価されるべきである』政略論 今治世者に起こっている軽蔑は結果から生まれているのだ。もう500年前に予告されているのである。川淵キャプテンがするべき事は、せめてこの敗戦の分析をすることである。でないと本当にこの4年間は無駄になってしまう。フットボールというスポーツから企業イメージを排除しようとして地域に根ざしたスポーツを掲げナベツネさんと戦ったのは誰だったのか。その今自分が企業に埋まってしまってどうなる。ナベツネさんのあのとき言った「川淵は独裁者だ」という予言はあたってしまったのか。今の貴方は愚かな独裁者そのものですね。 #
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| 2006-08-07 21:15
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Author:曹汰 「意思表示」の仕方について、少し考察してみました。 ここでは意思なき人のことは置いといて。 意思ある人々の意思表示の仕方には、様々な方法があると思ってます。 個人的には、協会会長である川淵氏への一番効果的な意思表示の方法は、彼の性格や特質上マスメディアが取り上げることが一番だと思っています。 しかし、残念ながら代表チームを運営統括する日本サッカー協会への意見具申(中でも会長批判)は、彼らにとってはそう簡単にできるものではない(笑)それこそ死活問題に直結するわけです。 現実は、協会(川淵会長)の異常ともいえる報道管理統制がある故に一般市井の者が声を上げざるをえないわけです。 ■機能不全に陥ったワンマン運営 年間160億円以上の収入を誇るほどの組織内には普通であれば独立した監査(評価)部隊がいたり、もしくは健全な批判勢力がキチンと存在します。そのことで円滑で永続的な組織運営ができていくと思います。 もちろん中小の私企業や同族会社、またはワンマン企業は例外としても、社会性を帯びた組織や上場企業のいずれもが、それらチェック機能を果たしながら組織運営をしているわけです。 しかし残念ながら、日本サッカー界の上部構造の一連の流れや川淵氏のこの4年間の動向を見る限り、それらは完全に機能不全に陥っていると言って良いと思います。 その結果としてドイツWCでの惨敗にも繋がることは、このBLOGのケット・シーさんはじめ多くの論客の「辞任を求める」コラムを見て頂くことで明らかなことだと思います。 さて、それら組織として機能していないように見える日本サッカー協会上層部への意思表示は、それこそ粘る強くあらゆる手段を使って行っていく必要があると思います。 ■意思表示の方法 1.手紙を出す 川淵氏は市民やファンからの手紙は必ず目を通すと聞いています。またおしゃべり好きな彼は手紙好きとも聞いています。私の知り合いにも彼から自筆の返事がきて感銘を受けた者がいますが(笑)自分自身も今回の件で日本サッカー協会会長宛てへ手紙は出しました。 2.メールを出す メールは、協会関係先だけでなく「意思表示」しているサイトをメディア宛てに紹介することも効果的なのではないかと思います。ファンやサポーターの購買によって成立しているメディアへ読者の声を知らしめることは大事なことですし、彼らが間接的に取り上げてくれたらしめたものです。 3.ネットでの運動 このBLOGにあるバナーを貼って意思表示することや、同じ方向を向いた人々が互いにリンクを張っていくのもムーブメントを拡大増殖させるひとつの方法でしょうか。 やや身内びいきになりますが、今回の動くバナーは海外の友人の労作ともいえるもので作品としても素晴らしいものができました。 意思ある皆さまには是非とも使っていただきたいものです。 4.競技場にて どうやら競技場での表現は制限されているようなので、横断幕やゲーフラなどは競技場外で使用するしかないわけですが。特に代表ゲームの時などに象徴的なデザインをプリントしたTシャツを作って着用することはありでしょうか。 競技場では「ブーイング」やある種のまとまった「コール」は非常に効果的だと思います。 これにはあらかじめタイミングや内容を取り決めしておくと良いでしょう。 5.デモ 全共闘世代である私は頻繁にデモには参加しました。それこそ「破防法」が施行される以前にはゲバ棒持参にヘルメットで。催涙ガスや放水車の放水を浴びせられながらが日常でした。 今回のようなデモは社会転覆や権力交代要求のような政治的な内容を帯びていませんし、具体的で過激な要求もありません。 そういう意味では一部で反対論者が必死になって論陣を張るほどのものではなく実に可愛いものであるわけです。 デモは、力もない名もない人々のひとつの示威行動としては、(メディアのネタになりやすいし)効果的です。 もちろんひとつは自己満足(自己昇華)の為でもあるわけですが。 自分も参加したいと思っていますが、できれば楽しく自分自身をネタにしながら行うデモは意思表示のひとつとして大いにやった方がいいと思います。 ただ実施者がこころがけるべきは、 ・主催者として当日は道路交通法など法律を守る努力をすること。 ・事前に通信社をはじめあらゆるマスコミ各社に通知すること。女性誌を含む雑誌社にも。 ・それとデモ後の取材の受付も主催者としては受けるべきでしょう。 ようは人数を集めることには余り執着せず法律の範囲内でより効果的なデモにしていくことでしょうか。 6.意見広告 スポ新や大新聞に意見広告を出すことは大変な資金が必要になってきます。 先日、最近何かと批判の多いエルゴラッソへ問い合わせてみました。 サッカー専門紙へ、サポーターやファンが意見広告することは一度試してみてもいいのではないかと思ったからです。 エルゴラ編集部によるとある程度の規制はあるようですが、下記のような返事をもらいました。 【エルゴラの場合】 ・広告料 裏表紙の場合:120万円 中ページの場合:80万円(カラー) 60万円(モノクロ) ・その内容について、以下の項目に抵触すると広告お断りとなるようです。 ①責任の所在が明らかでないと判断される ②内容及びその目的が不明確 ③広告内容に虚偽があるか、または誤認・錯誤されるおそれがある ④公正・客観的な根拠なく最大級・絶対的表現を使用している ⑤その時々に施行されている各関係法規、・条例・業界規制等に違反する内容 ⑥その他、メディアの品位を損なうと判断される広告 *費用はカンパなどで賄うとして、考慮すべき題材ではあると思いますので、この件でご意見がある方(できればご賛同頂ける方)はトラバ頂けますと幸いです。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-07 01:00
| ☆辞任要求エントリー
Author:ケット・シー ジーコと共に臨んだ日本代表のドイツW杯は失敗に終わった。川淵キャプテンは、責任を取って辞任すべきである。「キャプテン(会長)は代表の仕事だけを見ているわけではない。代表の成績で会長が辞任するという悪しき前例は作らない」という理屈は一見もっともだが、今回はまったくあてはまらない。 なぜならば、4年前ジーコ監督に決定する際、川淵キャプテンは独断でそれを決定しているからだ。すでにきちんとある組織的手続きを踏まずに、独断で決定したからには、その責任も一人で負うのが当然と言うべきだろう。これまでの日本で最高レベルの能力、経験を持った選手たちでの、2得点7失点、2敗1分けという結果はあきらかな「失敗」である。その原因は主にジーコ監督の能力にあり、彼を独断で監督に据えた川淵キャプテンの責任はこれ以上ないほどに重いと言わなければならない。専横で行ったその決定の責任をとる手段はただ一つ、辞任でしかありえない。 ■独断で選ばれたジーコ監督ジーコ監督の決定経緯について、川淵氏は責任逃れのために次のように言っている。 責任を回避するために言うわけではないが、ジーコ監督の時は「ジーコも候補に入れておきなさい」というところから始まったが、私が理事会の承認も受けずに決めたかのような印象を持っている人もいるかもしれない。 これはまったくの欺瞞である。候補を一人に絞ってから、ほぼ契約が決定してからの理事会の承認はあくまでも「追認」に近いものであり、あまり意味のあるものではないだろう。それよりも重要なのは、技術委員会があげていたフランス系の監督のリストをくつがえし、そこにないジーコを加えるように命じた、という部分である。 ちょっと考えれば誰にでもわかることだが、リストアップされたフランス系監督と、ジーコとではその哲学、志向するサッカーがまったく違う。フランス系監督は、個人で差こそあれ、基本的にはコレクティブな(組織だった)サッカーを志向している。これに対し、ジーコ監督に決定後は、川淵キャプテンはことあるごとに、「戦術で縛らない、自由なサッカーをすべきだ」と発言している。それはジーコ路線を川淵キャプテンが強力に推進しているということに他ならない。これは何を意味するか。 技術委員会のリストアップしたフランス系監督候補を川淵キャプテンが「否定し」「覆し」、キャプテンの考える条件にそって「そこにはなかった」「それらとは方向性の違う」ジーコを選んだ、ということである。これを独断と言わなくて何と言おう。それなりに分析され、立案された方針と違う方向に、キャプテンのひと言ですべてが変わってしまったのだ。その成果、結果がドイツW杯の失敗である。責任は誰にあるのか、明白であろう。 ■姑息な責任追及逃れさらに許せないのが、この「ドイツW杯の総括のための記者会見」において、ほぼ意図的に(と私は推測するのだが)「ドイツW杯の失敗」から目をそらさせるために、次の監督候補としてのオシム氏をリークする、というそのやり方である。実際、このリークのあとの質疑では、敗戦の責任を問う声と、オシム監督との交渉についての質疑が半々になってしまった。特にジーコ監督の能力の問題についての質問がなされなかったのが、非常に問題である。 ■個の力と組織力ともう一度言うが、ドイツW杯における「失敗」は、ジーコ監督の能力の低さによる部分が非常に大きい。選手の「個」の能力の低さということが今言われているが、それはおかしい。「個」の能力が十分に高く、トルコにも勝てたはずであるから、これからは戦術にしばられずに自由を、というのがジーコ監督擁立時の考え方だったのではないのか?私たちから言えば、「個」の能力が(少なくともブラジルに比べて)足りないのは、最初からわかりきったことであり、であるからこそ、戦術や組織だったサッカーが必要だと言ってきたのだ。それをあえて捨て去った上で、さらにまた「個」の能力が低いと口にするとは、何という欺瞞だろう。 選手自身が失敗を恐れずに思い切ってトライする初めての大会だったが、残念ながら成果には表れなかった。われわれも当然分かっていたことだが、組織だけで勝ち切るのは限界があって、個の力を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものであると、明確な形で見せ付けられた大会だったと思う。 これは帰国会見での川淵キャプテンの言葉だが、普通に日本語力のある人には「????」となるような文言ではないだろうか?もちろん組織だけで勝ちきるのにはどこかに限界があるのだろうが、まさかそれはこの大会のジーコジャパンのことを指しているのではあるまい?ジーコジャパンは、多くの点でこの大会の32カ国のチームの中でも組織力が相当低いほうだろう。それはそうだ、戦術であえてしばらない、選手の組み合わせが変わって急造4バックになっても、戦術練習もしないでブラジル戦に臨むチームなのだから。そのチームの限界は「真剣勝負に組織を整備せずに裸で当たるのは間違っている」というごく当たり前の結論を示しただけだ。 「個の力を高めた上での組織力」が必要という言葉自体にはまったく賛成である。しかし、「個」の力を高めるのは代表監督の仕事ではない。だいたいジーコ監督が「個」の力を伸ばした選手などいるだろうか?それはあくまでも育成と、各クラブにおける日々の練習で行うことであって、代表監督はその上での「組織力」を高めることが重要な仕事なのだ。その点において、ジーコ監督の能力が高いとは言えなかったことは論を待たないだろう。 ■ジーコジャパンの組織上の問題点詳しくは後日また振り返ろうと思うが、 「敵が研究してしっかりプレスをかけてくるとパス回しからの攻撃ができない」(オーストラリア戦) 「DFラインのディシプリンが選手任せなため、ラインが押し上げられず、引いた守備になってしまう」(アジアカップ、オーストラリア戦、ブラジル戦) 「DFラインが下がり、前線でのプレスも未整備なため、ロングボール攻撃に弱い」(オーストラリア戦) 「前線からDFラインまでの距離が伸びきってしまうため、中盤の選手のカバーする範囲が広くなり、疲弊する」(ドイツ3戦とも) 「DFラインが下がり、中盤ので役割分担が不明確なため、バイタルエリアがぽっかり空き、利用されてしまう」(オーストラリア戦、ブラジル戦・・・特にミドルシュートのシーン) などなどが、ドイツ大会はるか以前より指摘されてきたジーコジャパンの組織上の問題点である。これらはすべて本番たるワールドカップでも改善されず、そこを突かれ敗北をしているのだ。「個の力を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものである」であるならば、この監督に任せてはならなかった。その失敗は、ジーコ体制を強力に推し進め、反対意見を圧殺してきた川淵キャプテンが責任を負うべきであるのは当然ではないか。 このほかにもジーコ監督には、サブの充実を含めたチーム・マネジメントの問題、非常に重要な初戦に臨むゲームプランの問題、選手を戦う集団にするモチベーション・コントロールの問題、コンディションを重視して選考、起用を行えない問題、そしていわゆる「采配」、選手交代の問題などがあり、それらもすべてこの大会で露呈し、日本の敗戦につながった。これらもまた後日振り返ってみたいと思うが、基本的な問題点は以前に書いたこれやこの記事と同じことになるだろう。 ■教えられることはすべて教えた最後になるが、ブラジル戦直後の川淵キャプテンの談話から。 川淵三郎キャプテン その通りだろう。ジーコは教えられることはすべて教えたのだろう。しかし、監督としての専門教育を受けておらず、監督としての経験も非常に浅いジーコ監督が教えられることは、非常に限られていたということなのだ。または、「口で言うだけで(本番で)選手に実践させることができなかった」のだ。教育者なら「教えたけど理解してもらえなかった」ですむが、サッカーの監督は違う。「教える」事が大事なのではなく、選手を動かして「結果を出す」ことがミッションなのだ。ジーコ監督はそれに失敗した。それはしかたがない。監督初心者なのだから。 最大の問題、責任はそのような「監督未経験者」を、自分の好みにより日本代表監督に据えた人物にある。もちろん川淵キャプテンだ。彼は今回の失敗の責任を取って辞任すべきである。オシム監督を登用したからといって、その責は逃れられない。私たちサポーターは彼を許してはならない。 ■スタジアムでの直接民主主義もうひとつ、川淵キャプテンのずるいところを上げておこう。彼はスタジアムでサポーターの前に出るときに、単独で出ることがない。選手を激励する時や、何らかのセレモニーの時も、高円宮妃殿下や海外からの要人と共に出るようにしている。かつて代表戦のスタジアムで、「加茂でW杯に行けなかったら俺が辞める」の長沼氏に対するブーイングが響いたこと、あるいは川淵氏が辞めさせようとしたトルシェ前監督に対する「トルシェ、ニッポン」コールがこだましたこと、それらが彼にとって心の傷になっているからだろう。 さて、その感覚は正しいと言おう。川淵キャプテンよ、次の代表戦、スタジアムに「川淵ヤメロ!」コールが響くことを想像してもらおう。選手に声をかけに出てきたら、今度は誰を伴っていても、盛大なブーイングがあなたを迎えるだろう。それはドイツW杯の失敗によるものではない。その原因から目をそらし、自分の責任を追及されないようにという、ここ数日のあなたの保身、そのための欺瞞に対するものだ。それから逃れる方法はただ一つしかない。 川淵キャプテン、あなたの日本サッカーに対する貢献は非常に大きいと思う。その部分は素直に認めるし、尊敬する。だからこそ、これ以上ご自分の晩節を汚すのは止められたらいかがか。それは同時に、あなたの愛してやまないサッカーを汚すこととイコールなのだ。 このようなことは書きたくなかった。それではまた。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-05 14:25
| ☆辞任要求エントリー
Author:おとうさん@カラスバナー営業主任 7月30日の川淵会長の再任にあたっての会見の一部に以下のようなくだりがあった。 「私は自分の責務を果たすことなく職を離れることこそ無責任と考える。多くのファンの批判があることは承知しているが、サッカー界への貢献を考え、自信と確信を持って臨んでいきたい。」 私はこれを目にしたとき、以前、ビジネス上の講演会で聞いた、とある講師のこんな話を思い出した。 日本の経営者にとって「責任」というほど便利な言葉はない。 「責任をとって辞任する」 「職務を引き続き全うすることで責任を果たしたい」 と180度違う、用法が可能な言葉である。 それは、この「責任」という言葉がどのような意味内容が何をさすか、きわめて曖昧な日本語だからだ。 英米語にはこんな言葉はない。 責任に対応する単語はいくつもあるが、いくつもあるのは、いずれも使い方が限定されていることが理由だ。 一番日本人になじみのある単語は「responsibility」 だろう。 response(応答)にability(能力)が結合した言葉で「質問に応答する責任」 次に、日本語で「説明責任」と訳されることの多い「accountability」 account(勘定書)にこれもabilityで「財務会計上の説明責任」 さらには経営という概念においては不可欠な責任である「liability」 lie(賦課されている)+abilityで「債務責任」、民法上の債務の支払いに対する責任である。 これらは、いずれも能力という言葉が後ろについており、言い換えればこれらを果たせない経営者は能力が無い、と見なされる。 というようなものであった。 さて、翻ってわが川淵氏、一体どの責任を全うする決意をお持ちなのだろう。 独断でジーコを監督に指名し、4年間迷走の末、ドイツワールドカップでの惨敗、これに対するresponsibility(応答責任)は果たしてきただろうか。 また、一部週刊誌をにぎわしている協会業務における公私(講師?w)混同疑惑に対してのaccountability(財務状況の説明責任)はどうだろうか。 いずれも不十分どころか、まともに果たされていないというのが現状ではないか。 そして、いままで果たせなかった責任がどうして今後、果たせると言うのだろうか。 川淵氏が唯一果たしてきた責任があるとすれば、スポンサーや電通へのそして年間2億円といわれるジーコの報酬に対するliability(債務責任)だけではないだろうか、それも代表選手の消耗という多大な犠牲を払って。 日本語の曖昧さの中に川淵氏を逃がしてはならない、と強く思った。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-04 01:00
| ☆辞任要求エントリー
Author:おとうさん@カラスバナー営業主任 週刊ポスト誌が報道した川淵氏の公私混同疑惑は主管官庁である文部科学省が調査に乗り出す、という新たな局面を迎えようとしている。 「衆議院議員 馳浩の赤じゅうたん雑記」 週間ポスト誌による公私混同疑惑とは簡単に言うと以下のようなものである。 1. 日本サッカー協会会長としての講演であるにもかかわらず講演料を川渕企画というペーパーカンパニーの収入としている(年間推定3000万円 注1)。 2. その川渕企画の業務の一切を協会職員で川淵氏の秘書であるA女史が業務時間内に行っている。 3. 協会負担のハイヤーを使って講演会にでかけている。 の3点であり、もしこれが事実なら、公職にある身としては、不見識きわまりない、行為であると言わざるを得ない。 言うまでもなく川淵氏は財団法人日本サッカー協会の会長であり、同協会は国により税金を軽減されるという優遇を受けている公益法人であり、そのため組織運営については国民に対してきちんと透明性を確保するよう義務づけられている。 参考:財団法人公益法人協会 HP <ディスクロージャー(公開性の確保)> <公益法人であるがゆえの優遇課税> 一般法人30%に対し22%の優遇課税となっている。 また今日の代表人気を下支えしている各地のスタジアムは、国や自治体によってその建設コストは負担されており、代表人気はハード面では税金によって下支えされていると言っても間違いではないのである。 したがって、川淵氏について現に報道されているような疑惑があり、川淵氏本人がそれに対して記者会見等による説明責任を果たしていない以上、その道義的責任が国民・納税者から追及されるのは当然のことといえる。 ファンの一部には、不確定な事実をもって会長の辞任までをも求めるのは行き過ぎではないか、という声がある。 しかし、事実を現認したり証拠収集したりしなくては公職にあるものに「辞任」を求められないとしたら、国民は地方自治法で定められている首長や議員の解職請求もできないことになってしまう。(リコール署名を行う住民の殆どは直接見聞きしたわけではない二次、三次情報にしか接することができない) 自分が直接見聞きした一次情報でなければ不確かな根拠である、という主張はある種の不可知論であり、国民や納税者が公職者の疑惑を追及する権利を否定する根拠とはなりえない。 解職請求(辞任要求)においては、裁判とは異なり厳格な証拠主義をとる必要はないのである。 7月30日のJFA評議員会では、一切の質疑応答もなく、満場一致で川淵氏の再任を決定した、と伝えられている。 長いものに巻かれてしまった評議員たち もはや、この組織に健全な自浄能力など望むべくもない惨状である。 彼らを変えうるものがあるとしたら私たちサッカーを愛する国民の大きな怒りの声以外あるまい。 JFAに、文部科学省に、国民、納税者としての疑惑解明の声をあげていくしかないのである。 声はこちらに↓ 公益法人DB(JFA) 文部科学省HP 注1 8月10日付け 週刊文春のインタビューでは年間700万円強との書面が出されている。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-04 00:05
| ☆辞任要求エントリー
Author:エルゲラ 私は、川淵氏に協会会長の職を辞任して欲しいと強く思っています。 まずは、日本代表がワールドカップで1分2敗勝ち点1得点2失点7得失点差マイナス5と惨敗したから責任を取って辞めて欲しいわけではないこと。 今回のドイツでの日本の3試合は、どの試合も試合後のショックが大きかった。ブラジル戦後は、しばらく動けなかった。日本代表はこんなはずじゃなかった。日本代表はこの程度なのか。日本代表はもっとできたのではないか。 ジーコ氏の監督就任には当初から疑問を持っていたし、途中からは疑問が確信に変わった。これではうまくいかない。 自分でもBlogを立ち上げて、「これではうまくいかない」と微力ながらも訴えてきた。しかし、大勢は変わらず、そのままワールドカップまで日本代表は迷走してしまった。しかし、試合終了時に思い浮かんだのは、「ああ、やっぱり…」という気持ちよりも、素直に悔しい気持ちだけだった。日本代表の戦い方は無残だったけど、少なくともピッチ上の選手達を見たら、「言わんこっちゃない」などという気持ちはまったく思わなかったし、試合終了のときにも「川淵、責任を取れ」などと思わなかった。 日本代表がワールドカップで結果を出せなかったから辞任して欲しいのではない。 このワールドカップの惨敗の結果を受けての辞任要求ではないが、この惨敗の大きな責任を川淵が負っているとは考えていた。 4年前の新監督選びに際しリストには無かった人物を「ジーコに聞いたのか」の一言で強引に加えたこと。その後の手続き上での理事会の議決はあっただろうが、そもそもの人選に川淵氏の意向が大きく入っていること。 その後、いくつかある不甲斐ない日本代表の戦いに対し、「信じている」を繰り返し、検証や修正の姿勢を一切見せなかったこと。さらには、あまりに内容の無い戦いに際し、「勝ちゃいいんだろ」と開き直り、修正のチャンスを自ら捨ててしまったこと。 ただ、これらのことに直接責任があるからといって、本大会で負けたから辞めろとは思っていなかった。 成田での川淵会見を読んだ後、怒りよりも呆れと悲しみの方が大きかった。この人は、この4年間で、何も学んでいない。 例えば今回の日本代表が、川淵氏が選んだに等しいジーコ監督の未熟さや能力不足によるところが大きく敗戦につながってしまったのだとしても、ジーコ監督を選ぶ過程なり、その後の判断や修正なりに誤りがあったことを認めているのなら、特に辞任などとまで強くは思わない。誤りだと認めているなら、次の4年間に同じことを繰り返さないだろうと、信用と期待を持てる。 しかし、反省や検証などをする時間的余裕などがあるはずもない帰国直後の成田での会見で、新監督の名前を洩らしてしまういうという失態から、結果的に人々の注目を失敗したジーコ監督から新監督に向けようとし、自身の会長としての総括を一切しなかったこと。 そして、オシム監督を、成功だったと言い張るジーコ路線の延長線上にいる監督だと捻じ曲げる。Jリーグをきちんと見ている人なら、オシム監督の路線がジーコ氏のやり方の延長線にあるなどとはこれっぽっちも思わないだろう。それどころか、比べることや並べること自体が新監督候補に失礼だ。 ここにいたって、自らの責任を真摯に受け止め、総括も反省もしない川淵氏には表舞台から退場していただきたいと強く思ったのです。 監督を強奪された形になる千葉のサポには申し訳ないが、個人的にはオシム監督が作る日本代表の試合なら、とても見たい。正直、ジーコ氏が契約期間中に解任されたなら、立て直せるのはオシム監督しかいないと思っていたくらいです。しかし、今の協会では、監督の首を挿げ替えただけでは、代表の強化に直結するとは思いにくい。新監督は、走れない選手を外すかもしれない。その選手は協会とスポンサーにとって大事な選手かもしれない。その状態で、数試合思うような結果が出なかったら、今の協会や川淵氏なら、また御用新聞にリークをして新監督を潰しにかかる心配すらある。 親善試合を減らせと新監督が協会に要求したら、今のままの日本サッカー協会は、代表監督の意向に素直に耳を傾けるのか。それともスポンサーの言葉を重要視するのか。 今までの4年間が本当に失敗だったと反省しているのなら、そんな心配はしない。しかし、批判をかわすため小手先の策としてこの時期に新監督騒動を起こしたのなら、反省や検討などをしたとは考えにくい。ジーコ氏が続投をしないことを明言しているのだから、水面下で監督選びが進んでいることは構わない。しかし、この4年間の検証なり、このワールドカップの検証をした結果、リストの順番が変わるかもしれない。その意味でも日本代表の強化に真摯に取り組んでいるのならば、この時期に洩らす話ではないと思うし、万が一「つい、うっかり」漏らしてしまったのなら、それがそれで年間177億円も収入がある組織の長としての資格はない。 川淵氏がこの4年間の失敗を認め、その失敗の原因が自身の過度な保身にあったことを認めるなら、必ずしも辞任を求めなくても良いかもしれない。しかし、保身に走り、2回続けて監督選びで暴走し、この先もさらに暴走する心配があるのなら、辞任の声を上げざるを得ない。 サポーターの声など小さなもので、川淵を解任にも辞任にも追い込めないかもしれない。でも、声を上げなかったらこれまでの4年間と同じ。消極的承認になってしまう。 監督が変わっても、協会の体質は何ら変わらない。今回解任にも辞任にも追い込めないかもしれないけれど、サポーターが声を上げることによって、これまでの4年間のように川淵氏に好き勝手をやらせないようにできるかもしれない。声を上げなければ、これまでの4年間のように代表戦のチケットを買って、日本代表のグッズを買って、スポンサー企業の商品を買って、ただの都合の良いお客さんのまま。でも、声を上げることによって、何かできるかもしれない。今までの責任を取らせることはできないかもしれないけれど、この先4年間の勝手な行動は止められるかもしれない。独裁を止められないかもしれないけれど、少しは自制させられるかもしれない。そんな微かな期待を込めて、辞任しろと言います。 日本代表が強くなるためには、協会も監督も選手もサポもそれを取り囲むメディアやスポンサーも、全てが真摯な態度で強化に取り組まない限り、うまくいかない。どこかが驕りを持ち、誰かが責任を放棄し、自らの保身や利益の確保に走れば、宝物のような代表チームはあっけなく潰えてしまうものだということはこの4年間で充分骨身に沁みたはず。この先4年間も同じ轍を踏むのか。私は踏みたくない。 だから、小さな声かも知れないけれど、辞任を希望する。 #
by byebyecaptain
| 2006-08-03 12:00
| ☆辞任要求エントリー
Author:さるねこ 例えばジェフ・千葉を見てみよう。1997年シーズン以降、一貫してヨーロッパの監督を起用し、2005年にはヤマザキナビスコカップを制している。例えば鹿島アントラーズを見てみよう。1993年のJリーグ開幕以来、一貫してブラジル人を首脳陣に招き、低迷するシーズンこそあったもののいまだに「強豪」と呼んでも差し支えないほどの地位を誇っている。この二チームの隆盛は監督の手腕によるところも大きいが、フロントの一貫性が生んだものだと私は確信している。 では、日本代表というチームに一貫性はあるだろうか。94年のワールドカップに向けての代表はハンス・オフトというオランダ人監督だった。98年のワールドカップは日本人監督で臨んだ。02年はフランス人監督のフィリップ・トルシエ。06年はブラジル人のジーコ。そして、2010年のワールドカップに向けて、ボスニア・ヘルツェゴビナのイビチャ・オシムが代表監督に就任した。 もちろん、監督の国籍で一貫性の有無が決定するわけではない。しかしながら、私はJリーグ発足以来のこの代表監督達に一貫性を見出すことは出来ない。 だが、共通点はないわけではない。それはたった一人を除けばヨーロッパ的なサッカーを志向する監督だったことである。98年ワールドカップの岡田は日本人であったが、ドイツ留学の経験があり、ヨーロッパのサッカーに影響を受けていることは想像に難くないし、横浜でのサッカーもどちらかと言えば欧州流のサッカーだ。それを考えると、日本サッカー協会は欧州に目を向けているのだと私は思う。しかし、異質なのが2006年まで監督を務めたジーコである。 言わずもがな、彼はブラジル人である。それまでの流れを無視して、なぜジーコだったのか。それも、監督経験のない人物だったのか。様々なソースをたどれば、彼の就任には川淵会長の意向が大きく反映されたことを容易に知ることが出来る。技術委員会の候補者にはなかったジーコを代表監督に就任させたのは(手続き上の問題はともかく)川淵三郎なのである。 なぜ、流れを無視してまでジーコだったのか。本来ならば、ジーコの就任の際に明らかにすべきであった。しかし、それは明らかにされなかったし、惨敗に終わったドイツワールドカップ終了後も明らかにされていない。川淵の独断で決めた監督である以上、川淵は説明責任を果たすべきである。 イビチャ・オシムは有能な監督である。恐らく前任者よりも良いチームを作ることは間違いないと思う。私は彼の能力には疑問を抱いてはいない。しかし、なぜ今、彼なのか。それは大いに疑問である。それを協会は明らかにすべきだ。なぜジーコからイビチャ・オシムなのか。そこには何らかの理由がなくてはならない。日本サッカーに足りないものをオシムが埋めてくれそうだからか?では、ジーコ時代には何があって、何が不足していたのか。そのためにはジーコ時代の徹底的な検証が求められる。そして、それが出来ないならば、それが出来ない団体の長である川淵は去るべきであろう。ジーコを招聘したのは彼個人のきわめて強い意向によるものだったのだから。 繰り返す。オシムは優秀な監督である。しかし、代表チームの方針は一人の監督に委ねられるべきものではない。それはその国の協会が負うべきものだ。しかしながら、一人の監督の検証も出来ない現在の日本サッカー協会はそうではない。これではオシムが去ったあとの日本サッカーは心許ない。協会には抜本的な改革が今、求められている。そのためにも、ブラックボックスで監督を指名し、任命した男には去ってもらう必要がある。 (文中敬称略) #
by byebyecaptain
| 2006-08-03 00:48
| ☆辞任要求エントリー
Author:エルゲラ 何でしょう、日本語を話しているのですが、意味を為さないというか。わざと論点をずらしているのか、それとも本当にずれた人なのか。 仮に川淵氏が掲げる“自由”というテーマが正しかったとして、それでも“ジーコ”という監督が正しかったのか。自由という目標を達成するために、ジーコ監督と言う手段は正しかったのか。 (以下週刊文春8月10日号から、一部引用) 世界のサッカーの流れを考えれば、トルシエのサッカースタイルでは世界のトップには入れない。選手個々のテクニックや創造性なくしては世界の壁は越えられませんし、組織と個々の力がリンクしないと強いチームはできない。つまりジーコの4年間は必要な4年間だったが、要は選手がまだ”自由”を噛み砕いて理解できなかったのです。 私が川淵氏に問いたいのは、100歩譲って自由という目標が正しかったとしても、川淵氏が独断に近い形で選んだジーコ監督という手段が正しかったのか。 私には正しい手段とは思えません。まずは監督経験のない、海のものとも山のものとも分からない新人監督に自国の代表チームを任せる不安があり、次にチーム作りの過程を見ても、ジーコ監督という手段が正しかったとは思えない。 川淵氏の言うように“選手個々のテクニックや創造性”が4年前の時点で世界に劣っているのならば、少なくとも監督は世界に劣っていない監督を選ぶ必要があったのではないでしょうか。選手も劣っている、監督も劣っている(少なくとも経験者ではない)という状況では、とても目標が達成できるとは考えにくい。 このように、『手段が間違っていたのではないか』という疑問や不満に対し、先のインタビューは『目標が間違っていなかったのだから責任はない』と言い逃れをしているようにしか思えません。 もうひとつ、わざと論点をずらしていると感じられる点があります。 (以下一部引用) 結果責任については重く受け止めています。勝てば賞賛を受け、負ければ批判を浴びることは覚悟しているし、逃げるつもりもない。しかし、代表チームの成績と会長の職責は問題が別だと私は思います。ジーコがダメだから、会長も辞めなければいけないというのはあまりにも短絡的過ぎる。 この部分にも強い違和感を覚えます。“代表監督を選ぶという職務を任せられている技術委員会が選び、会長をはじめ理事会が承認した代表監督に対する責任が会長個人には及ばない”ということにはまったく同意します。 しかし、今回のケースは「ジーコには聞いたのか?」という会長自身の口から出た言葉が発端になり選ばれた代表監督であり、成績が不振でも内容が伴わなくても会長自らが「信頼している」という言葉で庇い続け、挙句の果てには「勝てばいいんだろ!」と開き直った挙句の結果責任です。これはむしろ結果責任と言うよりは、この4年間の過程責任とでも言うべきものではないでしょうか。責任の多くが独裁的に代表監督人事を進めてきた川淵氏個人に結びついてしまう性質のものと思います。 適法に組織的に選ばれた代表監督の結果責任を個人に負わせる気持ちはありませんが、違法で超法規的に会長個人が選んだ代表監督の失敗の責任を、独裁的に選んだ個人が追うのは必然と思います。 本人もそれを分かっているからこそ、この4年間の総括をしたくもないし、監督選びを失敗だったとは認めたくないもないし、その結果“選手がまだ”自由”を噛み砕いて理解できなかった“などと惨敗の責任を選手だけに押し付けているのでしょう。 選手に押し付けてしまわなければ、監督の責任でも協会(=自身)の責任でも、全て自分に火の粉がかかってきてしまいますからね。 そもそもの前提である、「自由」が正しかったとは思いません。「自由」に戦った結果がワールドカップという究極の舞台での無様なチームの空中分解につながりました。すべてが協会や監督のせいだとは言いませんが、それでも監督とその監督を選んだ会長の責任は重い。その重い責任に対し、川淵氏は説明を避け、はぐらかし、とぼけようとしています。 このまま逃げ切らせていいんですかね? #
by byebyecaptain
| 2006-08-03 00:40
| ☆辞任要求エントリー
日本サッカー協会
http://www.koeki-data.org/info.asp?keySeiri=211890 文部科学省 http://www.mext.go.jp/mail/index.htm #
by byebyecaptain
| 2006-07-30 11:00
| ☆リンク
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