~川淵会長の責任を問う。川淵会長の辞任を求めるBlog~

KET SEE BLOG 『Good Bye!川淵さん。』

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『対案路線の陥穽』


Author:おとうさん@カラスバナー営業主任

川淵会長にレッドカードを!のデモの取り組みへの批判の中に「対案がない」というものがある。中には川淵氏の悪辣さを用心しすぎてか(笑)「そうでないとクレーマーあつかいされる」という主張までネット界に飛び交っている。

一見、現実的な提案かのような外形をもつ批判であるが、ケット・シー氏が力説するように
「大仁さんがいいとか、奥寺さんがいいとか、いや岡野さんの復帰が望ましいとか、いろいろな候補をあげる人がいるでしょうが、それによってもっとも大事な目的=「墜落を回避すること」が出来なくなっては困る。こういう状況では、「小異を捨てて大同につく」のが正しいのです。「対案は?」という質問は、「小異を拡大することによって大同を分裂させる」という危険があるために、「狙って」してくる勢力がいるわけです。それに答えるには「今は墜落回避が優先」で終了です。」

(8月2日付けKETSEE BLOG「デモ批判に関して」より引用)

小異に拘泥すると大局を見失う、というのがもっとも根本的な問題であることは言うまでもない。

さらに、この手の対案路線が実現不可能なのは、擁立しようとする候補者の具体的意思がまったく不明、という点にある。
つまりマスコミが「サポーターはあなたに会長になってもらいたい、と主張していますが、どんなもんでしょう?」とインタビューしたとして「とんでもない、私にはその意思はないですよ」と答えた瞬間に、この対案は一切のリアリティを失ってしまう。

代表監督を例にするとよりわかりやすいかもしれない。ジーコよりもヴェンゲルを、というのは大方のサッカーファンの同意を得られる対案だったが、肝心のヴェンゲルに「その気」がないのだから実現しょうがなかった(笑)現・代表監督のオシムとて、「オシム語録」の中で、ピクシーの「彼に日本代表の指揮官をというアイデアが出てくるのも当然だ」という発言に対して「愉快な話ではない、私が野心を持って彼にそう言わせたと思われてしまう」と答えているのだ。それほど「具体名」とは「出される側」にとってはデリケートな問題なのである。
ということは、取って代わられようとする側の人間がどういう行動にでれば、この対案を潰すことができるか、ということも容易に想像がつくだろう。 「おまえには(目上の場合:あなたには)そういう野心があるのか」と一喝すればよい。

 このように「○○さんを会長に」という主張は一見運動にリアリティを持たせられるかの主張のようであるが、実はそれを潰す側に答えを与えていると言う点で書生論にすぎない。
 

 次に制度改革対置要求について考えてみる。
いま、私達が問題視しているものの多くは、川淵氏によってJFA等の規約・規定や社会的モラルがきちんと遵守されていないことにより生じている。技術員会のリストを突き返し「ジーコに聞いたのか」とリストに無いジーコを独断で監督に据えた問題しかり、公私混同疑惑しかり、オシムをジェフから奪う形となった「言っちゃったね」リーク〜Jリーグ規約軽視問題しかりである。

 要するに一連の問題の原因は川淵氏が作り出した「法治より人治」と言う状態にある。この解決策はただひとつ、法治の障害となっている人物をその任から解く以外にあり得ない。つまり制度改革対置要求を掲げても、現実に生じている問題とは殆ど噛み合わない、ここでもリアリティを喪失するのである。

 また、仮に「JFA会員による会長の直接選挙」などという対置要求を掲げたとして、JFAが「検討します」と答え数年後に「やはり現実的ではありません」と回答されることだって十分ありうるのである。むしろ問題の本質をはぐらかす材料を相手に与えることにもなりうる。


 以上のように「対案を」、という主張は二重三重に今回の問題の解決にはそぐわない、かえって相手に足元をすくわれる危険性をもった危うい主張に他ならないのである。
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by byebyecaptain | 2006-08-09 09:22 | ☆意思表示