~川淵会長の責任を問う。川淵会長の辞任を求めるBlog~

KET SEE BLOG 『Good Bye!川淵さん。』

『文藝春秋 9月特別号についての疑問』


Author:エルゲラ

文藝春秋 9月特別号』にて、川淵会長がオシム監督と対談をしています。これはどうやらサッカー協会側からの売り込み記事らしいのですが、まあそれは置いておきます。それを置いておくにしても、どうもオシム監督を担ぎ出しての批判かわしに思えてしまいます。
(以下文藝春秋より一部引用)

『日本だけとは限りませんが、サポーターやマスコミは短兵急に試合結果一つで結論を出したがります。負けると非常に批判的になる。ジーコ監督の時がそうでした。そこはまだ日本サッカーが成熟していない点もあるでしょう。代表チームについては、3年から4年の長いスパンで見てもらいたいですね。』


これはあくまで一般論ですね。代表チームや代表監督を長いスパンで評価をするという一般論には同意します。4年は長すぎるにしても、最低でも2年は時間を与えないと、現代の過密サッカーカレンダーにおいて、代表チームに監督が自分のエッセンスを注入することは難しいでしょう。
選手のコンディションやモチベーション、その試合の意義やスケジュールによってすべての試合で良い内容の試合を求めるのは難しい。結果を出すべき試合、結果より内容でトライをする試合。そんな強化のための余裕を考えると、2年という時間を与えそこで再評価をし、さらに2年の継続を検討する。これぐらいのスパンで考えることに異存はありません。


しかし、
『W杯が終わってから、私は会長としてきびしい批判を受けています。結果を残せなかったんですから、ジーコ監督を採用した責任を問われるのは当然です。失言問題もそうですが、自分としては重く受け止めています。しかし、代表チームの成績如何で会長が代わるというのは、世界のサッカー界の常識にはありません。だから辞めろというのは短絡的な考え方です。それなら、ブラジルをはじめ世界中のサッカー協会会長は何人いても足りません。むしろ負けた要因をしっかりと分析して、次にどう生かすかを考えるのかが会長の仕事ですし、会長は代表以外の仕事のほうがずっと多いのです。』


ここがワールドカップ終了後の朝日といい、文春といい、ロイターといい、川淵氏の一連の自身の責任追及に関するコメントとして問題のすり替えを行っているようにしか思えない部分です。
一般論として代表監督の成績に会長の進退は左右されない。これには同意。しかし、今回のジーコ監督選びは協会組織の通常の手順から選ばれたとは思えない。川淵氏自身の意向が大きく働いた監督なのだから、その監督が失敗した時の責任は取りましょう、ということですね。この部分を意図的かどうかは分かりませんが、ぼかしている。

自分自身がどれだけジーコ監督を選ぶことに関わって、それに対し総括なり反省なりの言葉がないと、責任を回避しているようにしか思えない。


『ファンの皆さんが落胆される気持ちは私にもよく分かります。仮に予選リーグで三連敗したとしても、日本代表らしい戦い方ができていれば納得がいくけど、特にオーストラリア戦は、ジーコ監督の四年間ではなかったような負け方でした。あれは僕もショックを受けましたよ。』


代表チームの問題点をオーストラリア戦の失点場面だけに凝縮しようとしているわけではないですよね?
確かにあの点の取られ方はショックでした。でも、そこにいたる4年間とか、ドイツワールドカップ前のドイツ合宿から始まる1ヶ月間とか、そのような時間のそこかしこにチームの崩壊につながる芽は見受けられて、それがあの3試合で表面に吹き出しただけではないでしょうか。

仮にオーストラリア戦を幸運な1点で逃げ切ったとしても、果たしてそれで日本サッカーの将来はハッピーだったのか。その勝利は川淵氏の言う”選手の自由と自主性による勝利”だったのか。川淵氏に対する批判は結果責任に対してだけのものなのか。
もう少し、謙虚な気持ちで”ファン”の言葉に耳を傾けてください。世論誘導はもう結構ですから。
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by byebyecaptain | 2006-08-20 18:33 | ☆辞任要求エントリー
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